2008年の岩波市民セミナーをもとにつくられた本。以前読んでいた古井由吉の文章に漱石の漢詩の話題が出てきたことがあって、それはこのあたりを元に書いた文章だったのか逆だったのか、時期は不明ですが、確かそこにも本作で触れられている修善寺の大患についてのものがあったと思う。本書は大きく二部、前半が「修善寺の大患」、後半が「『明暗』の頃」となっていて、病床に伏していた頃、晩年の頃の漢詩がそれぞれ紹介、解説されています。
冒頭に吐血をした頃の漱石の心境が、『思い出す事など』からひいて読み上げられています。
”(ーー)そうして健康の時にはとても望めない長閑な春がその間から湧いて出る。この安らかな心が即ちわが句、わが詩である。従って、出来栄えの如何は先ず措いて、出来たものを太平の記念とみる当人にはそれがどの位貴いか分らない。病中に得た句と詩は、退屈を紛らわすため、閑に強いられた仕事ではない。実生活の圧迫を逃れたわが心が、本来の自由に跳ね返って、むっちりとした余裕を得た時、油然と漲ぎり浮かんだ天来の彩紋である。われともなく興の起こるのが既に嬉しい、その興を捉えて横に咬み竪に砕いて、これを句なり詩なりに仕立上る順序過程がまた嬉しい。漸く成った暁には、形のない趣を判然と眼の前に創造したような心持ちがして更に嬉しい。果たしてわが趣とわが形に真の価値があるかないかは顧みる遑さえない。”
『漱石の漢詩を読む』13頁
この心安らかさとその時期の詩。それが晩年の作品をよむにつけ、角の硬さ、手でほぐしにくいもののように見えてくる。そもそもわたしに知識がないので解説を読んでいても追いついていけないところがありますが、それにしても書かれた内容に反していわゆるセンチメンタルさを感じない硬さと、それでもそこからにじみ出る寂寞感があり、あった気がする。諧謔とのバランス。
これは蛇足ですが、項羽の垓下の歌の一部、「虞兮虞兮柰若何」に触れられた部分があって、これは教科書でやった!って頭の中で声出たところあった。ここの読み方のリズムが当時変なつぼに入ってよく思い出していたことを覚えている。ブルアカの山海経イベントにもでてきましたね。

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