『そこにすべてがあった バッファロー・クリーク洪水と集合的トラウマの社会学』を読み終わった。被災者による語りによって大部分を構成されていて、それらを丁寧に並べながら、そのうえでなお語られないこと、語ることができないことに接近するために同じく大きな紙幅を割いてアパラチアの歴史、文化、暮らしが紐解かれています。そして、そこから描かれるのはコミュニティが失われることによって復興が始まってなお続く状況から起こる集合的トラウマの存在。災害によるトラウマについての本であり、聴き、(それを)語るということについての本。
それとは別に、わたしは『Kentucky Route Zero』をクリアした直後の状態でこの本を読みはじめたので、いくつかそちらに引き付けて読んでしまっているところもある。例えば本書のなかにでてくる”隣人”ということばに関する記載を読んで、あの作品のなかにも「隣人」と呼ばれた馬たちがいたことを思い出した。そして(作中、信仰に関する話題が登場することもあり)それが聖書の含みをもっていたことに今更気づいたりした。
被災者が「漂流している」「居場所がない」「根こぎにされた」「迷子だ」と感じていると証言するとき、それはつまり、自分たちがどこにも所属していないような気がするということであり、自分たちの立ち位置を時空間上に固定してくれていたいつもの社会的目印が見つからない、ということである。被災者は確かに抑うつ状態にある。ただしそれは、自分たちがどこでもない空白地帯に無意味に宙ぶらりんにされているという感情から来ている。
『そこにすべてがあった バッファロー・クリーク洪水と集合的トラウマの社会学』243頁
このあたりを読んで第五章を思い出さないわけにはいかないよな……って今検索をしていたところ、『Kentucky Route Zero』のマップのなかに「Buffalo Creek RECC」が存在しているらしい。

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