(千葉 成夫)増補 現代美術逸脱史 ――1945-1985

最初にこの本のことを知ったのは、前にも日記に書いた宮川淳について、本人の著作はいくつか読んでいるんですが他の人が宮川淳について書いたものをほとんど読めていない(見当たらない)ことが気になって探してたときだった気がします。

それで手にとって本作では第1章(60年代)の内容でもかなり宮川淳に関する言及に踏み込んで、それがそのまま最後まで貫く勢いまで持たせてあってうおおとなりました。正直これまで宮川淳の書いている内容を読んでも実際にどうやって当時のものをみていたのかよくわかってないんですが、こうやって整理できるんだってちょっと盛り上がってしまった。巻末には10頁にもなる注がついてて笑ってしまう。しかもそのなかには宮川淳の文章を引用しながら『ちょっとまってほしいといいたいところだが、わきあがる疑念と批判をひとまずおさえていえば…』みたいなところもあってめちゃくちゃ宮川淳のこと好きじゃん……って勝手に笑顔になってしまいました。これは前にも日記に書いた気がするんですが、美術史の基本を知らないまま触れる人物じゃなかったんだよな(それはそう)。

この本で特に良かったのはわたしがこれまで雰囲気で名前をみていた”もの派”のところを60年代の具体、アンフォルメルからうまく位置づけていたあたりで、というかここに至るまでの内容は前フリだったのでは?ってくらい”もの派”が拓いた視界とその後へを打ち出してきてて盛り上がりました。このあたり、揶揄するようなものでもありえたと思うんですけど、いや、この本は全体を通じてかなり変なというか、(全然詳しくないわたしの印象ですが)著者の思いをかなり持ち込んで練り上げている印象があるんですが、あとがきにある

…それらの作品を、あるいは精神を、貧しさともども、まるごとすくいとれはしないか。すくいとる視点があるのではないか。貧しさを隠蔽するためではなく、現実の総体をつかみとるのである。しかもそれは、無責任な現実肯定や現状追認であってはならない。

この姿勢が全面に出ていてかなり好感があります。面白い本だったのに読んでいるわたしが全然あたまに入れられなくてもったいないのでまたちゃんと読み直したい。

2022年1月16日

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA