『全身小説家』をみました。とても面白かった……。 井上光晴の晩年約5年間と、その後の関係者へのインタビューをまとめたドキュメンタリー。終盤の虚構が明らかになってくるパートでは館内にも少し笑いが起こったりしてた。
井上光晴という作家がいた。 忘れられた辺境の地の、名もなき弱者の視点に立ちながら、 戦後社会の矛盾を問い、 権力を告発しつづけた人である。その“心優しき叛逆者” 井上の 晩年の約5年間。 じわじわと進行する癌という病魔と戦いながら、なおも自らの想像力を鼓舞し、後輩たちを叱咤する井上の、壮絶な最期の闘争の記録である。 盟友埴谷雄高、 瀬戸内寂聴、 教え子である多くの伝習生たちが 井上について語る。 そこから浮かびあがるのは井上の嘘に彩られ 人生。 映画はいつしか “記録” という枠組みから飛翔し、 “虚構と真実” というテーマに肉迫する。 それは井上光晴の生きるた めの葛藤と、 原一男の映画監督としての葛藤がクロスする、 スリリングな、もう一つの闘争の現場となった。157分。シネマテーク
年譜をつくる際に自分の人生のどこを切り取るかという意味でフィクションだという話があり、これはこの映画自体にも関わってくる部分なんですが、一方で井上自身が画面に映り、話し、がんの告知を受けて、さらに手術の場面まで流れる。少し前に読んだ古いクジラ漁の本を思い出す。私小説なんてそういうのが一番のフィクションなんだからみたいな話が古井由吉のエッセイについての文章にあったことを思い出す。後半、井上の語るエピソードの再現映像がドキュメンタリー内で流れて、それが直後に虚構だったことが判明する流れは反則でしょ(おもしろ)となりました。

終わった。とても面白かったです。待合室にはこのあとにシネマ塾へ登壇する監督がいて談笑されていた。帰り道にもテレビの機材が多く並んでいるところを通り抜けて駅へ。映画の面白さとは別に、映画館がなくなることに対する感慨みたいなものが湧いてくるかと思ったらまだ実感があまりない。
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