(古井由吉)雪の下の蟹/男たちの円居

古井由吉の『雪の下の蟹/男たちの円居』を読み始める。短編集で、表題の雪の下の蟹はアンソロジーか何かで読んだと思っていたんですが、読み進めるうちに初読っぽいことに気づいて記憶力のあてにならなさにたははってなったね。1963年1月の北陸大豪雪を被った金沢での暮らしを描いた短編です。古井由吉自身、金沢大学に勤めて下宿をしていた履歴があるので体験も含めてのものになりそう。

ひたすら続く雪下ろしが描かれているんですが、ここで強いのが古井由吉による描写なんですよね。豪雪の中での人間の生活は妙に活力がでたり虚脱したり、雪のなかを縫うように、また上がり下がりをしながら進んでいく幻想感、下宿の主人や奥さんとのやりとり、近隣での雪下ろしによるトラブル、汚水(肥溜め)の処理問題からか薄く広がる臭気、そんな雪の中での生活が全部、夜になるとその天気の中に溶け込んでいくように自分の内と外の境界がぼやけていく様子と、一方で殻の中に命を持って病みながら死んでいく蟹のイメージとの対比。

2年前の年末の北陸旅行で、金沢のちょうどこの舞台になったあたりを歩いていました。

https://note.com/heruune/n/n83ed90b87d10

(追記)

『雪の下の蟹/男たちの円居』(古井由吉)を読み終わった。あまり読めていなかった古井由吉の初期作品です。「雪の下の蟹」「子供たちの道」「男たちの円居」収録。先週以降、後ろの2つを少しずつ読んでいました。豪雪、戦争、就職への逃避、そういった環境のなかで虚脱し、あるいは感応している姿がそれぞれ描かれています。夜、布団の外から聴こえてくるような呼び声、そのときの全身の感覚のひろがりの描写は他の古井由吉作品にも感じるところですが、今回はいかんせんわたしの体調が悪いのでこのあたりをしっかり読めなかった感じがある。平日の夜にも寝る前にぱらぱらしながら、全然頭に入ってこない……って苦しんでいました。そういうタイミングもある。

最後に収録されている「著者から読者へ」のあとがきが1987年に書かれたもので、これが本巻に収録されている17、18年前の自作に対する文章であり、同時に当時の我が身に触れたちょっとしたエッセイにもなっていて、その文章がすごくその頃の古井由吉作品、わたしがこれまでうんうん頭を抱えながら読んでいた時期の作品らしい書かれかたそのままでちょっとにっこりしました。『眉雨』『夜はいま』のころです。

しょせん自業自得になるわけだが、そこは青年のことだから、世をすねた。たいしたすね方でもなかった。とにかく、どこへ行くあてもなかったので、大学にのこった。研究職や教職に向いた性分とも自分で思えなかった。ところがその、どこへも行けないという、これは紛れもない外的な事情が、どこかへ行きたいという興を一年ほどのうちにうすれさせた。それにつれて、ほかのさまざまな興も、はぐらかされたようだ。若い身ながら、あの頃、そんなことがたしかに起った。『雪の下の蟹/男たちの円居』(古井由吉)239頁

2023年2月11日

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