地衣類、都市生物ときて、つぎはカワイルカの本でも読もうかなって思ったところで急に気分転換をしたくなりました。ただ今思い出すととこの本も、一つ前の本も、以前フォロワーがタイムラインに載せていたものをメモしたものだった気がする。そして、直近に読んでいる3冊のどれにも地衣類が出てくるんだよな。そんなことある? こんな頻出ワードだったっけ。少なくともわたしは『地衣類ミニマルな抵抗』を読むまで単語として意識したことはなかったんですが……。
エッセイ、著者のエピソードや、組み込まれた漢詩、そのほか著者が連想した多くの作品が引用されて並ぶ本なんですが、この本で地衣が登場するのは53頁、鳥の巣の造形についての文章の中です。そしてここにはさらに孫引きしたくなる長い引用と、かなり良い添えられた文章がある。
博物学者スコット・ヴァイデンソウルによる序文にはこう書かれている。「僕が子供の頃、母はブロンドの髪を腰にかかるくらいのばしていた。春、そして夏の夕暮れ時になると、裏庭のポーチに座って、鳥のさえずりに囲まれながら、その長い髪をていねいにとかしていた。そしてとかし終わると、ブラシに付いた長さ1メートルほどの薄い色の髪をとり、ポーチの階段のかたわらの格子に伸びるバラの茂みにそっと置いていた。それからしばらくして、僕は鳥のことを調べるようになり、近所に生息する、ほとんどのチャガシラヒメドリが--ここ、アメリカでは馬のたてがみをつかって巣を作ることで知られている鳥なのだけれどーー母の髪で美しく編んだ金色の器の中に卵を産んでいるのを見つけた」
長い髪をときほぐし、薔薇の茂みにおく母親と、その髪で巣をこしらえるチャガシラヒメドリ。小さな庭の物語を描いた、なんてすてきな思い出だろう。鳥を追いかける生涯を、こんな美しい起源からはじめることができたスコット・ヴァイデンソウルは幸福な学者だ。(『いつかたこぶねになる日: 漢詩の手帖』52,53頁)
わたしがこれを読んでなにか付け足すことあるか?(反語) いや、ある(反語の反語)。ちょうど先日最終回を迎えたアニメ、ティアムーン帝国物語にでてくる登場人物、ミーア・ルーナ・ティアムーンさんです。
将来は長く伸びたブロンドの髪が美しくなる皇女、現在は12歳のわがままで保身ばかりだけど、根がとても素直でお人好しな素敵なお姫様。隣国のアベル王子から送られたシャンプーを愛用しています。このさ~、ティアムーン帝国物語の、ミーアさんがアベル王子が関わってくるときだけラブコメ!!!!!ってなるのがさ~、めちゃくちゃ良いですよね。そしてアベル王子がミーアさんに送ったのが馬用のシャンプーでした。ミーアさんは馬用ということに気づかずに愛用しており、この作品では終盤になるとその他の登場人物もみんな基本的にお姫様を盲信しているので誰もそのことにきづかないんですね、ただ一人革命軍のリーダーの妹をのぞいて……。あの「気づいたが、気づかないふりをした」っていうナレーションを聞いて、今のこの作品にあまりないツッコミで(おっ!?)ってなったよね。
アニメの画面の良さとしては最後の最後、屋外ティーパーティーの場面で、椅子じゃなくてピクニックシートを敷いて車座にすることで、男性陣みんなが靴を脱げずに結果ミーアと半身で向き合うことになってるの天才的なんですが!!っておもいました。
何の話をしていたっけ、ミーア・ルーナ・ティアムーンさんの馬用シャンプーでツヤの出たきれいなお御髪も、チャガシラヒメドリの巣にはもってこいなんでしょうね、というお話です。
(12/25追記)
『いつかたこぶねになる日』、これもすごく肌にあう内容ですらすら読んでしまう。それだけど、その一つのエッセイからわたしが勝手に連想したことをあげてっていわれたら無限につなげて出せてしまいそうな、そういう懐の深さと言うか奥行きと言うか、やさしさがあるんだよな。
今日読んだのはちょうどクリスマス・イブの頃の話。義両親とうまくいっていないという友人が出てくる。イブの夜に、ガスストーブを消し忘れた義理の親がガス爆発を起こした話。目が覚めたら隣の部屋の壁が、お餅のように膨らんでいたという話。それで義理の両親はなくなったという話。
あとはお菓子作りの話。砂糖一つで熱の上げ方にによってシロップ、キャラメル、糸に、冷やし方によって結晶化したり、無色化したり。ちょうどクロカンブッシュとかいう甘々のお菓子を食べて、このなかにどれだけ砂糖が入っているんだろうって思っていた。この回では江戸時代のお菓子を紹介した方外道人の狂詩がいくつか並べられている。
他には源順の漢詩が登場する。わたしはこの名前をみて、あっ知ってるって思った。おちこぼれフルーツタルトの影響で(そんなことあるか?)いろは歌を調べているときに、言葉遊びについての作品集をいくつか出していて名前が出てきた。そのことをこのエッセイを読んでいたときに思い出せたのがうれしかった。下の日記はその頃のものです。
わたしは一度読んだものをほとんど忘れてしまう。だから少しでも感想を日記に残しておいて、さらにそれをホームページに残しておこうと思っているんですが、こうやって別の読書でちらっと登場したときに、反射神経で繋げられるのが醍醐味だし、大切なことだというのはそう思うんだよな。よかった。
(12/29追記)
『いつかたこぶねになる日』(小津夜景)を読み終わった。とても良かった……。これまでも読みながら日記に感想を書いてきましたが、今回読んだ部分でいうと蘇軾の「病中遊祖塔院」にふれながら、現在住んでいるニースの”水”事情を流すエッセイがよかった。
そして水の林のあわい、水鏡となった玄武岩の地面の上で、ぴちぴちとはしゃぐ水着すがたの子どもたちとすれちがったとき、あ、水の真理って、つまりこの世界の若さと柔らかさにふれる感触なんだわ、と悟った。(『いつかたこぶねになる日』225,226頁)
風景や穏やかな感覚の描写の最後に思いっきり水を飲む場面を描く「病中遊祖塔院」の引用。病気療養でお寺に滞在する蘇軾、ニースに訪れるニーチェの(枯れた)エピソードを紹介しながら、文末で一気に水と若さを書く緩急がすごくて、ちょうど頁の切り替わるところだったのもあってウオオとなった。
水といえば、(?)アマガミSS全話レビュー「アマガミSS 第四話 レビュー (完)」なんですが、最近日記に残しておきたい記事があったので書いておきます。
【考察】アマガミ討論会 第一夜 桜井梨穂子編 、おもしろかった……。全話レビューの柳田国男、折口信夫に対して、こちらは田山花袋と国木田独歩。アマガミの舞台について討論をしています。
わたしが好きなところはここ。
■ 国木田は徐々に語気を強めながら言った。田山は拍手をやめて、目を瞑りながら国木田の言葉に耳を傾けていた。
国木田 そればっかりじゃないですか。この頃アニメ映画などは全部それですよ。画面にヒョイと異界の表象が映ればそれに呼応して、ここぞとばかりに 「考察」という名を掲げて、なンの捻りにもなっていない深読みゲームが始まる。
僕はもうウンザリだ、根の国だ、妣の国だ、國男柳田────田山 まア、まア国木田君、まアね、君の言い分も分かるよ。
国木田 よもや田山君まで、そんな手垢のついたベタベタの「考察」をするとは。しかもこの期に及んで『アマガミ』で。平素のナチュラリズムはどうしたんですか。
田山 国木田君、だがね、いま── 【考察】アマガミ討論会 第一夜 桜井梨穂子編
昨今の風潮、考察に関する思いもされど、「僕はもうウンザリだ、根の国だ、妣の国だ、國男柳田────」の語呂が良いようでなんともいえない絶妙なライン。
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