『石がある』をみました、よかった……。
旅行会社の仕事で郊外の町を訪れた主人公(小川あん)は、川辺で水切りをしている男(加納土)と出会う。相手との距離を慎重に測っていたが、いつしか二人は上流へ向かって歩きだしていた――公式サイト
定点の長尺シーンの何気ない日常の所作をみるたびにその手の動きや身体の姿勢、仕草や声の出し方とか、そういうものに目がいくんですが、そういうときわたしは実際に自分の身に置き換えてみていることが多い、気がする。ということに今日気づいた。それでもスクリーンでみている映像は一人称じゃないし、実際に河原を足元みながら歩いているわけではないから当然に画面には映っていないものはたくさんあるんだよなっていうあたり前のことをぼんやり考えていた。
登場人物の男性が女性に近くにある花畑の話をする場面も、画面には映っていないけどこの近くにあるんだろうなと思うし、それでいうと初登場の場面から最後まで、常に少しの突拍子のなさがある男性が、夜に自宅へ帰って椅子に座る場面の、明らかに一人住まいではない広さの空間や、関心があるのかわからないけど棚や壁際に積まれた大量の本、それに本人が書き始める今日の日記はそういう作品設定の裏付けという意味以上の広がりというか、逆にこの広がりがでてきてびっくりするようなところがあったんですが、そういう感じがある。
なんとなく河原を歩いた一日で終わるのかと思っていたら、なんと映画は翌日に続く。その翌朝、電車に乗った主人公が窓越しに川をみたときに、あの男性がその川にいて昨日の続きをやっている姿が見える。あの一日だけにあった何か特別な脆いものではなくて、たまたま電車の車窓からちらっと姿をみたけど、もし見ていなかったとしてもその昨日の続きに今日があるんだよなっていうシーンがあり、その一瞬だけ笑顔が漏れた朝陽のはいる車内の場面がとてもよかったです。
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