5年間1日たりとも離れたことのない夫、愛しているなら当然と思ってきた、今日まではーー。ソウル郊外、3人の女友だちとの再開。女たちの迷いと優しさ、隠された本心。女は何から逃げたのか。
(ポスターより)
訪ねる先々で古い友人と再会し、その家や職場(映画館)といった生活の場のなかで交わされる会話の繰り返し。気の置けない友人との楽しそうな近況報告の合間に挟まれる「それは踏み込みすぎでは……?」と感じられる一言や、一瞬だけ軋むような瞬間。全体として楽しい会話の中に、一般的な作品の会話ではうまく除いて繋げられてしまうような小さな引っ掛かり部分があえて残されている印象です。
これは友人とガミ(主人公)とのやりとりだけでなく、その途中に登場する猫に餌をやっていることに苦情を伝えに来た隣人や、つきまといをしている男性と友人との間でなされる(うんざりするような)玄関口のやりとりでも繰り返し描かれています。
そしてこの合間にガミはインターホンのカメラや防犯カメラを、窓から外の景色を、友人の暮らしを見ている。
会話劇の内容自体というよりも、その会話がたまにみせるほころび(と言うと言い過ぎになるような、基本的に楽しい再会のやり取りの中で見えるちょっとした生活のつまずきや、会話をしている2人のやりとりの間の軋み)と、それを飲み込んで続けられる会話が、一方でそれをこの映画として観ていて善悪に感じるものではなくて、暮らしていくことってまあそうだよな……と思わせるものになってる気がします。
ガミが最後に映画館でみた映画の感想が『平和だった』であること、そしてその”映画”を作品の最後にもう一度、帰ろうとしたところから引き返してもう一度映画館に戻り、座席に座り、私と同じように画面を観るところでこの映画が終わること、これが作品名の”逃げた”に繋がる部分かとは思うんですが、この逃げ自体になにか後ろめたいものがあるのではなくて、3人の旧友と同様にガミ自身にもこうありたい何かが、それが少し見えてきたという話なのかな~というのが感想で、自分の先に目をやること、それが最後いまわたしがいるところと同じ劇場で行われることがすごく良い。そしてこれが77分できれいにまとめられててかなり好みでした。とても良い映画でした。
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