50年前に書かれた作者不明の日記です。読んでいて何となくわかる事実を並べると愛知県三河地方に在住、3兄弟の長男、職を転々としつつ最近1年くらい現場で職人をやってる、本をよく買う、たまに旅行に行く、麻雀・花札・パチンコを毎日やりよく負ける、そのため借金をしがちで給料日にも手元にお金が残らない、賭け事に大きく負けるたびに日記にこんなことでは駄目だって気持ちを残している。社会性がない。日記の最後では反りが合わないので仕事をやめようとしている。
わたしが二の足を踏んでいた日記をやっぱり書こうと思ったのは、2年弱の期間で書かれていたこの日記を読んでいるとブログやツイッターとは違う、日記に残す意味が少しわかる気がしたからです。特にツイッターは仕事の時間以外四六時中ながめてその一部の時間で投稿をしているわけなのでそれが生活だっていっても良いんですが、そこから取りこぼされるような物があるのかもしれない。もちろん常に投稿しているわけじゃないからそれはそうなんですけど、TLをみているという意味では常にみているといって良いわけだし、良いにつけ悪いにつけ生活の軸足は完全にそこ(TL)にあるんですよね。
このTLをみているけど投稿していない時間、この時間に何があったのかを残しておくことができれば良いのかもしれない。それは他人が見ても面白くないでしょうが、蓄積すれば何かにじむものがあるんじゃないかって思いました。なんせ50年前の日記を読んで日記書くか~ってなりましたからね。
ところで何でも報告するツイッターから取りこぼれるものってなんだ。つらつら打ってたけどツイッター以外の媒体で何か書くのをフェイクに感じる感覚あるんですけど何なんですかね。そもそもこの日記なんのために始めたかって書いてたけどもしかしてただツイッターのを補完したいだけなの?(何かこれが今思い当たる正解っぽいな)
この本を読んだことがきっかけでわたしは日記を初めて、そこにちらほら感想を書いて、それをまとめたのがこのホームページになります。
コメントを残す