1~15章は詩の翻訳を挟んだ随想、16~25章はリルケ「ドゥイノの悲歌」の改行なしの試訳になっています。あとがきでのなかで、この前半の随想部分は、過去作である「山躁賦」の時にだけ感じたものと同様の楽な筆の運びになっていたことが触れられています。
わたしは「山躁賦」の最終盤に描かれる谷を走る声やイメージの人称の掴めなさや、そのリズムの良さがすごく好きで、それが古井由吉を読み始めたきっかけのひとつなんですよね。今作でやっている詩の翻訳を随想のなかに組み込むやりかたはそれに近いのかもしれない。とはいえわたしはこれまでほとんど詩に触れてこなかったので今作で詩に触れたという感じはつかめなかったんですが……(雑魚)。平出隆による解説では「散文」と「韻文」の論理性と音楽性の共振、翻訳と読解とをエッセイズムに巻き込もうとすること、について触れられています。
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