背 吉増剛造×空間現代

 

 

『背 吉増剛造×空間現代』(七里圭)をみました。数日前の日記にも書きましたが、ちょうど『眠り姫』のことを思い出したこのタイミングで監督の新作が上映していたのは、そして上映館がみにいくライブ付近だったのは完全にタイミングが答えになっていたパターンなんですよね。

空間現代はタイムラインでしばしば名前を見ていて気になっていたところで、吉増剛造は『黄金詩篇』が部屋の棚に入っています。だいぶ前に詩を読めるようになろうって思って買ったもので、そのとき、詩についてそれまでたまに読んでもピンとこなかったんですが、当時タイムラインのかたが音読をすすめていたのでちょっとだけやったことを思い出しました。今回の映画でも吉増剛造による誌の朗読が含まれているようで、それが気になっていました。というか本作に限らず吉増剛造は誌の朗読をしばしばやってるみたいです。

冒頭に土方巽の音声をカセットで再生するシーンがあり、その音はがびがびで聞き取れないんですが「もうすりきれるまで聴いていて……」って話をしていて、人の音声をそれだけ聴くことあるんだとなった。事後的に購入したパンフレットを読むと吉本隆明の書いたものを10年間筆写していたともあって、そのあたり誌や文章の読み方としてその時間というか体感というかそういうところがあれですよね。

12年前あの震災以後ぼくはご恩があったので、大変な思想家で詩人であった吉本隆明さんという人の書いたものを全部筆写するという作業を10年間続けたんですよ。毎日毎日、大変なんですよね、筆写するというのは。大変だし、分かんないし、難しいし、つまんないし(笑)。
だけどやっていると、後で、このあいだ対談してる時に自分の口の方が言ってしまって判ったんだけどさ。俺がやってんだけど隣のやつ、内側のやつ、添(そば)にいるやつが分かっているやつがいるかもしれない。何人もの隣人とか他者とか、他力と一緒にやってるんだっていうのに気がつくの。その瞬間はこの頭では分かんないようなものなんですけどね。

『背 吉増剛造×空間現代』(七里圭)パンフレット10頁

この筆写の感じを、日常生活のふだんあまり意識しないぼやぼやしたところにもっと何かがある、っていうお話をされているパンフレットもおもしろかったです。

そういえば、ちょうどわたしも少し前から古井由吉作品の好きなところをメモするようにしているんですが、ここで全然関係のないアホなことを言いますね、古井由吉って手書きするとき何度も由(よし)を吉(きち)で書いちゃうやつ、認知のバグをつかれてる感じある、あります。

映画は冒頭からひきこまれて終わってしまった。ここで映像になっている京都でのライブはカセットでリリースされているようだったので後で注文します。

 

(追記)

画像

先日、映画『背 吉増剛造×空間現代』をみてから注文していた『背』(吉増剛造×空間現代 )のカセットが届きました。映画中のライブパフォーマンスの録音です。空間現代の演奏と吉増剛造による誌の朗読が入っています。インサートの形状でカセットの背側がなくて、録音面が見えるようになっているのがパフォーマンスの一面を意識してる感じがあり少し好きです。石巻市で行われた芸術祭において窓ガラスに直接書かれたドローイング、そして今回の録音でもガラスに直接描くパフォーマンスが行われており、世界の”背”、あちらとこちらをのぞきこめるものとしてとらえる行為に透明のケースを通じて向き合うことになるんですね。なるんですねじゃないが。

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