Salad Days

(略)『Salad Days』はスキャンダラスな話がほとんどないのがパンクとして以前に音楽ドキュメンタリー映画としても極めて異例だ。不良自慢みたいなネタとはほぼ無縁なのが、基本的に様々な意味で“クリーン”なDCシーンらしい。基本的な反抗精神をキープしつつインテリジェンスに富み、ニヒリスティックなパンクの価値観に抵触する良識の精神性の源泉も滲む。たとえば当時のUSハードコア・パンク・バンドは家庭問題などがよく表現のモチーフになっていたが、DCシーンのバンドの平均的な家庭環境を知ると他の地とは違う特異な部分がまた一つ見えてくる。
DCの友達のバンド以外リリースしないディスコード・レコードが象徴するように、地元へのこだわりの強さと結束の固さも伝わってくる映画だ。MINOR THREATやFUGAZIのようにツアーをしたバンドも多いし排他的でも閉鎖的でもないが、DCシーンは他の地域よりもコミュニティ意識が強かった。映画の中の登場人物でDCシーンに直接関係してないバンドマンは、前述のサーストン・ムーアの他にJ・マスシス(DINOSAUR JR他)とティム・カー(BIG BOYS他)ぐらいだ。外部の意見をほとんど入れず出演者をDC内の人間で固めたことにより、外部のシーンの人間が容易に交わることができないDCシーンの“純潔性”も感じ取ることができる。
もちろんDCシーンも考え方が一つではない。ストレート・エッジをはじめとする節度をわきまえた生活態度や、政治性を打ち出したライヴ企画などの生真面目な姿勢に対して距離を置く、VOIDやBLACK MARKET BABYなどのバンドも混じっていた。映画ではそういった仲間うちの歪みや軋みも伝えている。ディスコード・レコードもだてに“DISCHORD”と名乗っていない(ちなみにその綴りは、不協和音を意味する“discord”をあえてdis+chord[感情/和音]にして変形させた造語と思われる)。
『Salad Days』がストイックにまとめられているのはDCシーンのリアルな空気感を真空パックしているからだ。堅く、硬く、固い映画である。(略)公式サイト

いつかみる機会があるだろうと思ってそのままになっていた映画が10周年を迎えて改めて上映されたのでみてきました。FUGAZI。

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