すべての夜を思いだす


『すべての夜を思いだす』をみた。とても良かった……。

高度経済成長期と共に開発がはじまった、東京の郊外に位置する街、多摩ニュータウン。入居がはじまってから50年あまりたった今、この街には静かだけれど豊かな時間が流れている。

春のある日のこと。誕生日を迎えた知珠(兵藤公美)は、友人から届いた引っ越しハガキを頼りに、ニュータウンの入り組んだ道を歩きはじめる。

ガス検針員の早苗(大場みなみ)は、早朝から行方知らずになっている老人を探し、大学生の夏(見上愛)は、亡くなった友人が撮った写真の引き換え券を手に、友人の母に会いに行く。

世代の違う3人の女性たちは、それぞれの理由で街を移動するなかで、街の記憶にふれ、知らない誰かのことを思いめぐらせる。公式サイト

思い出すことと覚えていることとかぼんやり考えながらみていた。ニュータウンのなかを移動する3人の一日を描いた映画。場面ごとの画面がすごく決まっていて、なんかいいな……ってだけでも映像をみつづけられてしまう力がある。そこで描かれるその日は、一人にとって自分の誕生日で、一人は仕事終わりに交際相手と食事に行く約束の日で、一人はその友人の命日である一日であり、何気ない一日。誕生日であり、迷い人のおじいさんに声をかけたり、友人の命日であり、夜に公園で花火をしたり、一日というのは、それでもやっぱり記憶に残るのかもわからない。それは思いだすことがなければ記憶には上がってこないことだし、劇中に登場する縄文時代の土偶のように、地域の歴史として残るものではないのかもしれない。

ニュータウンというと、わたしの界隈では映画『人生フルーツ』でも取り扱われていた高蔵寺ニュータウンという地域があって、数年前に一日かけて、アップダウンの多くて入り組んだ街を歩き続けたことがある。あのときは晴れた一日で、まず水路を辿ろうとして、川や池、森の中を歩いたあと、最後は日が落ちるので住宅街を抜けて駅まで戻ったんですが、道中、ふいにでてくる公園に広場、そして団地、それに巨大な林に迷子のように歩き回るうちに、時間の止まったような感じがあったことを覚えている。写真に撮った記録もあるし、ここの日記に書いた記録もあるし、この映画をみていて思い出した風景もある。

映画の中にはビデオによって90年代ごろに撮影された何人もの子どもたちの誕生日を移した映像が流れる場面がある。わたしが昨日の日記に書いた、まさに昨日父の(数日前の)誕生日を祝って食べたケーキとその時にとった写真のことを思いだす。

映画の中で語られないようなことが、ニュータウンのすばらしい映像で切り取られたそれでもさりげない一日をみることで次々に想起されてくるような映画だった。


過去だけでなく、今のことをふいに意識したのがこのダンスのシーンです。友人の命日に、以前一緒に花火をしたことを思い出しながら花火をする直前、今はまっているダンスを踊りだす場面。めちゃくちゃ良いです。

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