『裸々虫記』(古井由吉)を読んでいます。2025年の秋アニメは白泉社ララーンのシーズンだった(←そういうCMがあり、そして白泉社原作のアニメが良かった)ことを思い出しながら本棚から手に取った。
『山騒賦』を出した頃のエッセイをまとめたものですが、自身の周りの諸々ではなく世間で起きた出来事を題材にとっているのでこれまで読んできた文章とちょっと趣が違う感じがある。こういうことがあり、という話の入りからすっとその人物像に入ったと思ったらそのまま主語が拡散していくような運び方は短編を読んでいるような気持ちになるところもある。とはいえそのきっかけ自体がかなり80年代の世俗に寄っているのでなんともという読み心地だ。
(2026年1月31日追記)
『裸々虫記』(古井由吉)を読み終わった。前回の日記に付け加えるなら、世間のできごとをもとに書かれたエッセイをまとめた本書ってあまりに俗の話題にすぎると思う気持ちや端的に説教臭さを感じるところが読みはじめにはあったんですが、その話のとりかかりがなんだろうと、これから先の氏の作品になんども描かれる老いと幼さを抱え込んだものとしての人という視点や、ひとつの現在を詳細に描写することが時制も主語も越えてひろがっていく様子ともとれる感じがあって、そう取り始めるとやっぱりおもしろかったな。
人は現在と言っても、時間の点々のなかで生きているわけでなく、過去へ引っぱられ、未来へ引っぱられ、いわば前後に存在をひろげて生きている。ところが、その現在のひろがりがにわかにせばまる。するとかえって、自身の現在地、現在時がつかめなくなり、道に迷って行き暮れた者のように、《今の今》にひたりこむ。『裸々虫記』「火の用心、紳士たち」47~48頁
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