(Padograph)Padograph雑誌 第1号 特集:周縁から内在へ アジア現代美術

『Padograph雑誌 第1号 特集:周縁から内在へ アジア現代美術』を読み終えた。とても良かった……。韓国、中国、ベトナム、日本の現代美術に関する論考や寄稿者たちによる座談会、さらに台湾に関する論考と、韓国の翻訳美術批評が収録されています。

漠然と「グローバルな場」が存在しているように思われる美術、特に現代美術のローカル性――国家の歴史やマーケット、公立美術館の話題に加え、都市部の家賃高騰や検閲といったテーマ――がいずれの地域でも共通して登場します。その各国それぞれの個別の積み重ねとして語られる状況が座談会のやりとりを通して結びついていくっていうこの構成がとてもよくて、門外漢のわたしにはとても親切な設計でした。

また、コラム「わたしであるところの場所――VRChatでひとりで過ごすことについて」もよかったです。

この雑誌が届いて読み始めた最初の日、職場の昼休みにぱらぱらとめくっていたときにこのコラムの冒頭が目に留まって何度か読み返していました。全体として叙情的(叙情的?)なトーンの記事ですが、わたしにとっても数年前、自分の中で一瞬盛り上がり、いくつものワールドを巡りながらも最後まで誰とも交流することなく離れてしまったVRChatの記憶がふと蘇った瞬間だったんですよね。確かにあの思い出はわたし以外には説明できない夢のようなものだと思うし、その夢についての記事を書くとすれば感傷的にならざるを得ないんだよな。あのときに触れたワールドと昨今たまに目にしては流れていくVRに関する盛り上がりについての記事です。

10%の夢遊病者たちはだれもいないワールドを渡り歩き、無言のうちに建物やオブジェクトを眺める。返事をしない世界に対し、きっとこんな意図があるんだ、あんな意味があるんだと想像をふくらませる。未知を見に行くふりをして、ほんとうの未知である他人を拒む。
(略)
目覚めている人たちのあいだでは、VRChatは現実になりつつある。

「わたしであるところの場所――VRChatでひとりで過ごすことについて」千葉集

2025年5月10日

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