ノスタルジア

イタリア中部トスカーナ地方、朝露にけむる田園風景に男と女が到着する。モスクワから来た詩人アンドレイ・ゴルチャコフと通訳のエウジェニア。ふたりは、ロシアの音楽家パヴェル・サスノフスキーの足跡を辿っていた。18世紀にイタリアを放浪し、農奴制が敷かれた故国に戻り自死したサスノフスキーを追う旅。その旅も終りに近づく中、アンドレイは病に冒されていた。古の温泉地バーニョ・ヴィニョーニで、世界の終末が訪れたと信じるドメニコという男と出会う。やがてアンドレイは、世界の救済を求めていく…。 公式サイト

『僕の村は戦場だった』『鏡』につづいてみたタルコフスキー作品。今作も映像が良すぎる。 カットが変わったかわからないような、変なつながりや長尺も頻発する。影の濃さがピンポイントで調整された絶妙な光や構図の強さ。記憶の中にある霧に囲まれた故郷の記憶、湯気に包まれた温泉、地下の水脈に飲み込まれた廃墟。現在と過去でそれらの映像が交錯し、最後、ドメニコとアンドレイそれぞれが行う自己犠牲の世界救済。何よりラストシーンのあの、廃墟の聖堂のなかに故郷の家が取り込まれ、イタリアと故郷のソ連が一つに重なり、静止画のように固まった画面がめちゃくちゃきまってました。

劇中に登場する壁の落書き「1+1=1」にあるとおり、複数の時間やできごとが並列的に描かれています。上映中はこんな穏やかな(と言えるようなテンポ)の作品を、あの日記(『タルコフスキー日記』)に書かれているような激情寄りの人間が監督をしているんだ……っていう気持ちもあった。その日記には「くそくらえだ」「阿呆ども」といった悪態や借金に対する苦悩、仕事が進まないことに対する鬱憤、それに映画や芸術とはいかにあるべきかが、飛び飛びの日付の日記に書かれています。

そんなことを思い出しながら見ていたら、終盤、狂人とよばれたドミニコと、彼に託された詩人アンドレイがそれぞれに自己犠牲により世界を救う行為(これは彼ら個人の考えに寄るもので、実際に救われるかどうかとは関係がない)を行う場面があった。この、芸術家とはどうあるべきかって場面こそは日記に書かれているタルコフスキー像と重なるところがありました。

あとこれは完全に蛇足で、思い出したので仕方なく書いておくんですが、水脈に飲まれた廃墟で水に浸かりながら「この靴は10年履いた。わかるか、関係ないんだ」って言うセリフがあって、そのときになぜか、ブルアカのアコのエピソードで靴のサイズと10年後の天気の関係について考察するよう言われた場面のこと思い出したんだよな。映画に集中してたはずなのに隙を突いてブルアカの(全然つながらない)連想してたこと、なぜかちゃんと思い出せたので記録しておきます。こういう脈略もない連想もできるだけ覚えておきたいと思っているので。

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