『のんきな姉さん』をみました。上の予告編は七里圭監督特集全体の予告編で、そのうちの1作品になります。今年も各地で七里圭監督の特集上映はされていて、そのなかで『のんきな姉さん』も上映されている都市もあるんですが、このあたりでは新作の『背』のみの上映なんですよね。それで逆にどうしても過去作がみたくなってきたところが少しあります。ネットで検索したら『のんきな姉さん』はDVDがでていたので購入しました。パッケージに
この物語を想起させてくれた以下の作品に献辞を捧げます。
森 鴎外「山椒大夫」
唐 十郎「安寿子の靴」
山本 直樹「のんきな姉さん」
と表示されているとおり、原案には3つの作品が並んでいます。そして森鴎外の「山椒大夫」は説経節や童話が元に、唐十郎の「安寿子の靴」も同様の作品と森鴎外の作品が元に、そして山本直樹の「のんきな姉さん」も作中に名言はされていませんが登場人物の姉弟に”安寿子”と”寿司夫”となっているように上述の作品群がある程度のモチーフになっているみたいで、それらをさらに原案にした映画がこの「のんきな姉さん」になります。昨日の日記の最後に「山椒大夫」を読んだと書いたのもこの映画をみるためだったんですね。
ちなみに七里圭監督作品は他に先に書いた『背』と、あとは『眠り姫』をみています。この『眠り姫』も原案は山本直樹の「眠り姫」で、またその原案は(これは明示されていますが)内田百閒の「山高帽子」となっています。
これだけ並べましたが、モチーフに各作品を使われながら、そして通底するものもあるんですが、映画として新たな設定が加わることで、一番色が濃く残っている山本直樹作品ともまた異なるテイストになっています。
姉と弟の間に妊娠という設定が加わり、一方で両親の死に関することについては明言しないことで、この二人だけの世界というものの描かれかたが少しだけ違ってきている気がする。山本直樹作品では(必然に迫られた)共犯的な関係だったものが、映画ではずるずるとした結果としての共犯関係みたいなかたちで湿っけがあります。それを長回しのカメラで映すのでより閉じた世界という感じが伝わってきて、ラストの重み(良し悪しではないです)が変わってくる気がする。
寿司夫の書いた本(安寿子は「フィクション」という)の内容をさした場面なのか実際の場面なのか、時系列の乱れなのか、わかりにくくされているんですが、「山椒大夫」における夢の中の仏、山本直樹「のんきな姉さん」における階段からの転落を契機とした主体の意識の乱れみたいなものをこの映画でもやっていると思えばなんとなくつかめる気がします。そして姉の(身を切る)決断による現状からの離脱という意味では「山椒大夫」に近い描き方ですが、この作品ではその姉の嫁ぎ先をすごく気のやさしい男性にすることで作品全体のバランスが整っています。その関係から最後、雪のなかを助け起こし、一緒に歩いて、寿司夫を送り出す場面のうつくしさが大変よいです。おもしろかったです。
エンドロールでは助監督に西川美和が登場したところびっくりしました。いま調べるとこの映画が2004年1月公開だったらしいので、西川美和も監督デビューをした2年後の時期にあたるみたいです。そういえば西川美和も監督作品をみたあとに買ったエッセイが未読だったな……。
あとこれは完全に余談ですが、今回『のんきな姉さん』をみて、またあわせて原案の文章を読んだことで、ドラクエの”ずしおうまる”の名前が説経節や童話、森鴎外等を経てモンスターの名前にまで到達したことを知ることができました。
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