(杉本真維子)三日間の石

詩を書く方のエッセイ集です。わたしは詩を読むことができなくて、何度か挑戦をしてはだめだったとなっているんですが、エッセイなら、それにタイトルや装丁の良さも合せ技で手に取ってた本。とても良かったです。

本を読むときには気に残るような場所があると付箋を貼っておくんですが、今みると後半に多く貼ってある。というのも読み始めてからしばらく、この本に書かれていることをどう受け取っていいかわからなかったんだよな。特段に奇抜なことや思いが書かれているわけでもなく、本当に日常や思い出のとりとめのない話題で、日記のように感じる内容ではある。ただ、その端々に出てくる思いや、切り取り方が一般的には、あるいは少なくともわたしには書いて残せないと思うラインにのっている気がする。

うまくいえないんですが、例えばインターネットリテラシーや何らかの防衛として、本当にまったく問題のないことでも話題として触れないようにすることってあると思うんですよね。わたしは労働のことを本当にいやだと思っていますが、それが言いことかはわからないんですが、じゃあどういうところがいやなのかっていうのをここで詳らかにすることには今は一線を引いているし、あるいは過去の思い出を語る際に、これは受け取り方次第では、知らない誰かが読んだら叩かれる可能性が少しあるのでは?というようなラインがあって、それも日記には書かない自衛がある、気がする。もちろん、この本に書かれている内容に、実際にそのようなものはないんですが、なんとなくそういったわたしから見ると後ろめたいようなことを、その思いを(これが難しいと思うんですが)フラットに書いている気がする。

それが半分くらい読むまでうまく間合いとしてつかめなかった。逆にいうと半分くらい読んで、著者の方が書かれていることをちゃんと読めるようになってきた。それで読んでいくと、今度は一方で一般的にちょっと良いというかほのぼのエピソードになりそうな場面で、少し軋ませるような思いが一瞬のぞく場面にも気づいてくる。全然何の気もない場面で実際にだからどうだという話だし、悪いことでもなんでもなく、ただその一瞬の思いを掬うようなことがなされてます。この著者の書く日常や思い出のあれこれって日記よりもさらに奥にある、本当は見せないところを書いているんじゃないか?って気さえしてくるし、だからどう受け取っていいかわからないんだなとなりました。振り返りながらこういう感想を書いていると本の良さを逆にとりこぼしているような気もしてくる。たまにぱらぱらと読み返したい本です。

2024年2月22日

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