草の響き

本当によかった。観ているあいだずっとそう思っていたんですが、一方で観ていて苦しい内容でもあったので終わってからしばらく部屋に戻りたくないっていう気持ちになりふらふら散策したりした。

毎日、毎週、毎年の繰り返し、日記にも書かれないような無意識だったり習慣だったり、そういう繰り返しのなかで意識されなくなっているのは、例えばそれが何度も反復されているからこそ、その特定の1回となると具体的に思い出せないような、あくまでそういう意味での無意識であって、それが習慣なんだよな。今作ではひたすら走る。

現に過ごしているなかでそれ自体が無であることはなくて、日にちが自分の周りを過ぎていくことと、自分がその日を越えていくことは別であるし、その過程が毎日同じようであっても、たとえ振り返って特定の1回として意識できなくても、その1回を乗り越えるその過程が辛いものであることには変わりがなくて、そういう日常というくくりで反復されるものの中、過ぎていく日の中にある自分が乗り越える一日だとかそういうことを考えました。

わたしはそういうところをなんとかしたいと思ってるんですが、最近は少しづつ、今はもっと出かけて何かをやって、可能なら人とも話して、ということを考えていて、というかこれしか思いつかないところもある。正直に言うと頭の半分くらいではやっても同じだと思うんですが、でも今のままじゃだめなんだよな。

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