(鷲羽巧)言葉だけが最後に残る 鷲羽巧エッセイ集

『言葉だけが最後に残る 鷲羽巧エッセイ集』を読み始めました。『舞踏会へ向かう三人の農夫』に関する文章を読みながら、いつか読もうと思って買った文庫本を何年も棚にさしたままであることを思い出していた。当時どういったきっかけで買ったかは思い出せないんですが、なぜか買ったときにはもっと古典よりのイメージを勝手に持ってたところがあったので、文中でリチャード・パワーズのその後の作品がいくつも紹介されているのをみて(えっいまいくつなんだ!?)ってなった。まだ67歳でした。『舞踏会へ向かう三人の農夫』の頃は28歳になります。そうなんだ。

 

(令和7年6月8日追記)

ランニングへでます。いつものようにぐるぐるとコースを周回しながら、今日読んでいた本(『言葉だけが最後に残る 鷲羽巧エッセイ集』)の内容を思い出していた。「回想の殺人」形式のミステリに関するもので、わたしはこれまでほとんどミステリ小説を読んできていないのでなるほどね~となりながら読んでいたわけですが、走りながらふと、こうやってぐるぐる回っているときに事件が起こったとして20年後にこのときのことを証言できるか?って考えていた。

走り出した時間やコースはアプリで記録をされているのでより正確な時間を答えるには何周目でそれを見たのかが大事になるわけですが、これを思いついたのがだいたい4kmくらいの地点で、例えばそのときに目に入った放置自転車がそれ以前の周回のときにあったかどうかまで全く記憶をたどれない。道の脇には一列に並んだあじさいの株がきれいに咲いているけど数日前に走ったときにも同じように咲いていたのかも覚えていない。すれ違った人の香水が強くてしばらく先まで進んでもずっと匂いが残っていたけどその匂いがどんなだったかは覚えていない。あらためてみると樹が思っていたよりも高い。近くのビルと比べても4階くらいの高さがある。

お兄さんが手に下げていたビニール袋をよく見たつもりになりながらすれちがう。ベージュ地に「A24」の表記が散りばめられていた気がする。この道は映画館からの帰り道に通ることもあるだろう場所だし、だから映画配給・製作会社の袋を持っていることもあるのか?でもそもそも映画館でいまA24の映画って何がかかっていたっけ。(←確認したところ当該映画館でやっている『QUEER』はA24配給だった。)というかそもそも映画館でA24配給作品をみたときって、それ専用のビニール袋を配っていたことがあるか?ポップアップストアでもないのに?とか考えながら走る。

コースの曲がり角にある辻に腕組みをしたおじさんがいる。脇にある車道にはスライドドアを開けたままの白い車が止まっていて、次の周回では腰に手を当ててスマホを触っていた。わたしはその目の前で90度向きを変えてコースを進みます。

文中で触れられていたアガサ・クリスティ『象は忘れない』では、”物語のほとんどは、作中で《象》と表現される、事件当時のことを覚えている人々へのインタビューで占められる”らしい。象といえば、昨日晩ごはんを食べながら母と話をしているときに話題にでていました。小さい頃によく通っていた公園、ここは小規模な動物園もかねているんですが、そこには今でも同じ象がいるらしい。当時からだいぶ高齢だった気がするけど、本当に?って検索をしたら、今年で57歳になるそうです。

こうやって周りをみながら同時に細かいことを覚えようと頭にも酸素を回しているとペースが少し落ちてちょうど良いな、とか考えながら走っていたら、7kmを越えたあたりで脇腹が痛くなってそこから先は余裕のないまま10km。今日もふらふらになっています。70kmって、ここからさらに60km走るって、めちゃくちゃすぎる……となりながら部屋に戻った。

こうやって日記に書いたので、今日のランニングの間にみた少しのことと、連想して考えたことと、ミステリに「回想の殺人」と呼ばれるカテゴリーあることとかを残すことができた。何か意味があるかといえばそうでもないんですが、数年後にわたしがこの日記を読み返したときにそういえば!ってなると良いですね。

 

(令和7年7月6日追記)

『言葉だけが最後に残る』(鷲羽巧)を読み終わった。というか1周間前に読み終わったあと、感想を記録しそびれたまま次の本に移ってしまったので今日ぱらぱら読み返していました。とてもよかった……。氏のブログに掲載された書評やエッセイがまとめられたものです。推理小説研究会に所属されたこともあってかミステリを中心としたものが並んでおり、完全に門外漢のわたしにはぜんぜん知らない名前が続いていたところがある。それでもミステリ作品としての問題意識についてふれながら読みやすい短文で多くの本を紹介してくれるので気になる作品がたくさん出てきました。

この本で何度も触れられていることの一つとして、記憶と記録ということがあった。自分自身の一つ一つの決断が積み重なることと、あるいはもっとひろく”時は時は流れない、それは積み重なる”ということ、いずれにおいても記録することによって、失われたものについての痕跡が一つずつ残る。結局それをあとから紐解くときにどのように見るのか、どのように語るのかというのはいくつもの見方、考えがありうるかもしれないけれど、それでもその痕跡をてがかりに立ち上げること。先にこの本について書評やエッセイがまとめられたものです、と簡単に紹介をしましたが、この本全体を通じて、いくつもの本に対する見方を紹介しながら繰り返し文字に落とし込まれるこういったテーマが一貫していて、それが力強いというか、ちょっと元気になるところがある。

以下、特に気になった作品で取り急ぎ購入用メモに載せたものです(ミステリ作品以外を多く含みます)。

『九尾の猫』エラリイ・クイーン 、『三つの小さな王国』スティーヴン・ミルハウザー、『終わりの感覚』ジュリアン・バーンズ 、『白い僧院の殺人』カーター・ディクスン、『黄金虫変奏曲』リチャード・パワーズ、『地図と拳』小川 哲、『SS将校のアームチェア』ダニエル・リー、『そこにすべてがあった バッファロー・クリーク洪水と集合的トラウマの社会学』カイ・T・エリクソン、『文学は地球を想像する エコクリティシズムの挑戦』結城 正美、『記録を残さなかった男の歴史: ある木靴職人の世界1798-1876』アラン・コルバン、『物語の哲学』野家 啓一、『星読島に星は流れた』久住 四季、『記憶/物語』岡 真理メモ

先にアマゾンでざっと検索しただけですが、すでに購入困難そうな作品がいくつかあってウオオとなった。

2025年6月7日

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