『声の映画史: 東京藝術大学大学院映像研究科講義録』(筒井武文)を読み終わった。とてもよかった。講義とインタビューの記録です。監督だけではなく、撮影監督や特に編集者の方が多く登場して、それぞれが実作のなかで監督と交わしたやりとりだったり考え方だったりを紹介してくれており、それがおもしろい。今年に入って映画に関する本を続けて読んでいますが、そのなかでもかなりよかったです。とはいえわたしはまだ過去の名作をみた経験がぜんぜんなくて、登場する作品も名前は聞いたことあるが……くらいのものがいくつもあったし、実際に制作をしたことももちろんないので具体的な箇所について頭にいれるような読み方はできていなくて漠然と読み終えてしまった感じが強いのでまた年内に読み返すようにしたいです。
(2025年6月1日追記)
昨日みた『アブラハム渓谷』の感想を書いたあと、以前に読んだ『声の映画史』に、同作の編集に携わったヴァレリー・ロワズルーのインタビューと対談が載っていたことを思い出して読み返した。作中でカメラが2回揺れる(猫、桟橋)ところについてのほか、わたしが昨日みた際にも特によかったと思った場面について触れている箇所がありました。
素晴らしい思い出があります。『アブラハム渓谷』のあるシーンなのですが、エマが月夜に寝間着で葉巻を吸うシーンが四つのカットで構成されています。長いシーンです。私の編集のときの最高の思い出がそのシーンにあります。そのシーンでは一回だけ切って、やり直しを一度もしませんでした。編集台にリールをかけて、そして音楽をかけました。シーンの頭に印を付けて、シンクロを取り、音楽を流しました。オリヴェイラが編集台の前に座り、そばにいてこのシーンを見ていたわけですが、映画などでもそんな場面がありますが、私は目の前の映像を見ながら横目でオリヴェイラの反応を見ていました。ショットの終わりだと私が思ったところで、オリヴェイラも終わりの動作をしました。オリヴェイラがそこで終わりでいいと感じているのを横目で感じることができたのです。まるで催眠術にかかっているような、魅惑されるような瞬間でした。ベートーヴェンの「月光」が流されていました。
カットが正しいのだということ。カット自体に意味があるのであって、それはショットの内側にある。そのことを彼が私に正しく指摘をしてくださったことは、とても大切な思い出です。『声の映画史』309~310頁
コメントを残す