〈DayZ〉の世界に潜入インタビューを敢行したエキエム、ギレム、カンタンのフランス人クルー。3人はインタビュアー、技師、カメラマンの役割を担い、チームでサバイバルしながらアバターたちに接触し取材を重ね、ゲームの世界の奥深くへと入っていく。ある時〈DayZ〉の“バグ”とも言えるある光景を目にした彼らは、やがて出会ったアバターたちとともに、この架空の“島”の果てを探す旅へと繰り出していく。公式サイト
『ニッツ・アイランド』をみました。オンラインゲームの中にプレイヤーとして参加した3人(記者、カメラマン、技師)が、ポストアポカリプスの世界でサバイバルをする他のプレイヤーたちにインタビューを行うドキュメンタリーです。
冒頭、崩壊した世界で街を支配するコミュニティ「深夜の闇」に対するインタビューでは、そのメンバーがいかに”破壊”と”混沌”を好んでいるか(そしてその場には生け捕ってきた他のプレイヤーが生きた装飾として捕縛されていて、途中で銃殺される)を語り、迷子になって出会ったプレイヤーに道を尋ねれば北極星(ゲーム内にも星座がある)を目指して歩くよう言われたり、あるいは教会で謎の信仰を伝える神父とそこに集まる人たちはたまのレイブパーティが息抜きになると言っていたり、みんな完全にゲーム内のロールを演じきっています。それでも本作は予告編で煽っているような衝撃的な何かがあるというよりも、特に中盤からはむしろ眠くなるくらいアンビエントな環境のインタビューが続く。
そこからインタビュアーたちが延々とゲームに潜る中で、少しずつ参加者たちとの距離がかわり、インタビュー中に犬の声や家族の声が聞こえてきたり、運転席と助手席の二人から実際にいま二人が並んでパソコンの前に座っていることが伝えられたりする。ゲーム内のバグを探したり、一緒に世界の果てを探しにいったりしながら、それぞれが”現実”と”この世界”について話をしたりするようになると映画の雰囲気も変わってくる。
ここで自然に演じられている”ドキュメンタリーにでているゲームプレイヤーのわたし”というロールがすごくよくて、というのもそれがみんな当たり前にできていることもそうだし、実際にそこで語られるこのゲームや他のプレイヤーとの関係がかなり親近感のある距離感なんだよな。オンラインゲームをほとんどやらないわたしにも身に覚えのあるインターネットの世界観です。(この映画で撮られている部分は本人や撮影者による演出だとしても、そしてゲーム内だから当然に身振りや仕草は表されないにしろ、)それ以外の場所や時間に彼らがやっていることが、現実の個人情報を出してコミュニケーションをするんじゃなくてあくまでその世界の中にある自分の関連情報として漏れていくものが共有されている感じ(伝わりにくい)。
この映画の後半ではコロナの流行を挟んで1年ぶりの再会があったりするんですが、映画の前半で言われていたレイブパーティーが(ゲーム内)郊外の自然のなかで開かれてみんながカクついた動きで遊んでるのはかなり良い光景です。そして終盤、(バグなのかの説明もないままに)晴れた空を半裸のプレイヤー二人が水音とともに平泳ぎで泳ぎながら森の上を過ぎていく場面は良すぎです。
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