(古井由吉)仮往生伝試文

『仮往生伝試文』(古井由吉)を読み終わった。一月かかりました。450頁のどこを切り出すような作品でもなくて、時間をかけて読むとなんとも手応えがというか、読んだそばから感覚だけ残って話が抜けていくような読書感がある。言ってしまえば古井由吉作品はだいたいそうではあるんですが、それにしても平安期の往生記と日記、自身の体験と随想を重ねていくことで上人の往生から衆生まで、古典から現代まで存在しない境をゆるやかに束ねるようなもので、終盤はもう引用も日記の日付も主体もなくなりすごみがある。

蒼ざめた地平から、今日も息災に明けていくぞう、日々にあらたまるなあ、と太い呻きがまっすぐ天へ昇り、喉の奥が陰気に鳴って、はたと目を剥いたように落ちた。それに耳をやっていたなごりをふくんで、ところで、この谷に集まっている者たちは往生人か、と気のない声がまたたずねた。いやいや、あれはすでに穢に触れたかどうか、そのあらわれを、ここで息をひそめて、かなたの沈黙におのれの沈黙を重ねて、ただ待つ連中にすぎない、と答えていた。ふいに背後へ山が迫りあがり、その懐にひろがって、花が一斉に咲いたように、白く坐りつく姿が、それぞれに小さく切られた土の棚から棚へ、無数に反復した。

『仮往生伝試文』「また明後日ばかりまいるべきよし」(古井由吉)454頁

この数行が本編全体の反復にもなっているんだよな。話は頭から抜けているけどこういう話をしていたんだという感覚は覚えている。

2023年10月28日

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