(神田橋 條治 (著), 林道彦 (編集), かしま えりこ (編集) )神田橋條治 精神科講義

『神田橋條治 精神科講義』(神田橋 條治 (著), 林道彦 (編集), かしま えりこ (編集) )を読み終わりました。先日久しぶりに読書メーターをみたら、ツイッターからいなくなってしまったフォロワーが立て続けに2人、ここ数ヶ月に読んでいたのでわたしも手に取りました。今映画の本を読む強化月間ではあるものの、そもそもわたしの行動原理の一番根っこにはツイッターのフォロワーに対する信用がありますからね。

最初にぱらぱらと開いたときにはすごく読みやすい中にウオッとなるくらい迫力のある(オカルト寄りな)話が出ていたことを読んでいるうちに思い出していたんですが、最初からちゃんと読んでいると治療者と患者のやりとり、その関係を推し進めていくとそういう感覚というか、自覚が発生するということなのかもしれない。自分のアナログな感覚を言語に落とし込んでいくとこうなるんだ。

言葉の世界はイメージの世界によって支えられている。そうしたイメージの世界は実体験によって支えられている。さらにこの下には、この実体験をやっていくための身体がある。そして、言葉の活動とイメージの活動との間を行ったり来たりすると、言葉が豊かになっていく。また実体験の世界とイメージの世界、ここを行ったり来たりするとイメージの世界が豊かになる。『神田橋條治 精神科講義』81~82頁

こういう話の入り方から例示や具体的なエピソードにいって、その個別の話はわたしが読んでわかるものもあれば別次元のものもあるんですが、この本で語られている治療者としての取り組みはこの後者の、理屈からどうやって相手と相対するかのところを突き詰めていった粋といったところがある。引用部分以外だと二者関係と三角形の関係のパートと、終盤に収録されている”理解しようとする姿勢をこちらが持ち続けることによって、本人のなかに、自分で自分を理解していくための動きが触発されていくことになる。”のパートに付箋を貼ってあります。

2025年4月19日

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