『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』をみました。とても良かった……。
息子とブリュッセルのアパートで暮らす主婦・ジャンヌの日常。その執拗なまでの描写は我々に時間の経過を体感させ、反日常の訪れを予感させる恐ろしい空間を作り出す。アケルマンの代表作にして映画史上においてもエポックメイキングな作品。 公式サイト
ある女性の3日間の生活を描いた映画です。生活圏である居間、台所、寝室、浴室、廊下、玄関のシーンをひたすら長回しで固定のカメラが映していく。ぼんやり考えながら画面をみていると、その一つ一つは些細な動作でありながら、登場人物の女性が「こうあるべき」としているような姿と、実際にそうできないギャップのようなものがあることに気づく。そしてそれを感じ始めると画面に映される長回しの映像がどんどん息苦しくなってきます。
この映画の最後、3日目にはこの繰り返してきた日常に唐突な終わりがきます。最後の展開は間違いなく唐突である反面、この3日間の少しずつのずれをみているとこうなってもおかしくないという説得力がある。偶然の重なりによる唐突な破局というよりは、いや日常ってそういうものだよって言われるとそうですよね……ってうなずかされてしまう力がある。例えば普段、駅のホームに立つと変にふらつく感じや、エスカレーターでうしろに倒れたらどうなるんだろうと思う瞬間や、屋上から前に一歩でたらどうなるんだろうとふらっと想像している瞬間と地続きというかそういう話で、一線というのは存在しなくて、そういう単純な社会の圧迫感や自縄自縛の窮屈さとかだけではなくて日を送るってこういうことなんだよな。
最後、暗い部屋で机に座ったまま静止したり身悶えする主人公が映されたあとにエンドロールに入るんですが、ほぼ無地の背景に名前が流れるんですけど、ぼんやりとみていると急にこの背景がガタッと動く瞬間があって、それでよく背景をみると無地の背景にも傷とかがついていて、これはもしかして主人公の座っている机が画面に映っていて、つまりこの無地の背景は机に向かってうつむいている主人公の視界なのかもって思ったらうわっとなった(この映画の最後に一人称視点にするのは根が悪い)。おもしろかったです。
この映画をみてから、生活の中で締め忘れた扉を閉じたり、消し忘れた電気をマメに消したりするたびにジャンヌだったらちゃんとこうやるよなって頭に思い浮かべる習慣ができてるのよくない(良い)。
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