(古井由吉)古井由吉自撰作品 1

『古井由吉自撰作品 1 』(古井由吉)を読み終わった。収録作はいずれも何度か読んでいる「杳子」「妻隠」「行隠れ」「聖」です。

ついに本棚に積んでいた全8巻の作品集に手をつけました。大部分は既読作品ですが、改めて時間をかけて読んでいくぞ。感想はそれぞれ前に書いた気がするので読んでいて頭に残った部分、というと語弊があって、頭には残らないけど読んでいて止まった部分というかそういう文章を日記に記録しておきます。(←横着をしないで、はい……)

そうやって軀の底の方から沁み出てくる不安な気持ちをじいっと煮つめていって、それでもってようやくまわりの物のどぎつさと釣り合いを取っていた。そのうちに段々とぼんやりしてきて、すこしでも軀を動かしてはいけないという緊張を残して、あとは何もかも睡たさの中に融けてしまう。 「杳子」60頁

はじめてこの部分を読んだとき、この感覚を文章にした小説が芥川賞を取ったんだ、、、って気持ちになったことを思い出した。

海が徐々に左手から迫ってきた。やがてコンクリートの防波堤に守られた道路を隔てて、列車は海とほとんど同一の水平上を走るような感じになった。黒い水が窓いっぱいにうねった。泰夫の中でも、気儘にうねりひろがるものがあった。うねりは八方へふくれ上がり、揺れもどり、岸も沖も波頭の重なりの向こうに沈めて、位置とか方角とかというものを恣意のものに感じさせた。求める力さえ強ければ、どこででも落合える。そんな奔放な自由感に、泰夫はしばらく心をゆだねていた。 「行隠れ」227頁

長姉が失踪(冒頭で既に死が明示されている)し、その翌日に次姉がなんとか結婚式を上げた、さらにその翌日に現地集合で友人の待つ長崎へでかける場面の文章なんですが、展開としても文面としても不穏な中に不意にある恣意の気ままさが、出来事やその場面とは違う感覚の混入が現在感(何?)を高めている感じがあってとても好きな部分です。

右手のほうに、四日前の朝がた私が雨の中を越えてきた、あの山から続く太い尾根が傾きかけた太陽を背負い、幾重にも波を打って、山地の重みを押し出そうとしていた。と、その重みがふいに平地に遍くみなぎって飽和したように、目の前にひろがる稲の穂が黄金色に燃え出し、次第に白味をまして輝きわたり、女の髪のように乱れゆらめきはじめた。畔のところどころに立つ木の、樹冠もまぶしい髪をゆらめき立たせた。空の青はむしろ輝きを失って、太陽をぽっかり、恥そのもののように、白く浮ばせた。私は目をそむけ、後向きに下りはじめた。 「聖」372頁

直前の文章に比べて見ている主体が弱まって、それによって逆にその光景が現前してくるところが後年『眉雨』で究極的な形(主語がぜんぜん頭に入ってこない!)で描かれるものの萌芽な感じがある。

古井由吉の本は何度読んでも面白いのでおすすめです。

2026年7月11日

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