ジゼル(ウクライナ国立バレエ)

純真な村娘ジゼルは、村人に扮した伯爵アルブレヒトと恋をしているが、アルブレヒトに裏切られたショックで息絶えてしまう。アルブレヒトは悔いてジゼルの墓参りに行くが、精霊ウィリが支配する世界へと迷い込み、命を奪われそうになる・・・。公式サイト

ウクライナ国立バレエ『ジゼル』をみました。めちゃくちゃ良かった……。ジゼルといえば映画『きみの色』で主人公が踊る場面が印象的でしたが、その後、昨年の12月には県のパフォーミングアーツプログラムで『ジゼルのあらすじ』として酒井はなと岡田利規による舞台があり、読んでいた本でも何度も触れられていたことから、これはバレエをみるタイミングなのでは!と思い立って年末にチケットをとったものです。

あっという間に終わってしまった。バレエをみた経験が少なすぎてどうよかったのかわからないのが正直なところなんですが、将来のわたしが読み直すことを期待して良かったところを箇条書きにしておきます。先に読んだ本でバレエは所作だけで感情や意図をすべて伝えきること、それも出会ってから愛の悲劇に至るまでを、本来ならありえない2時間の踊りで納得させる説得力があることを知識としては知っていましたが、ちょっとあまりにもすごかった。

・例えば1幕の終わり、ジゼルが狂乱する踊りの場面で、冒頭の花占いの仕草を一瞬やったことで、今やっている所作はこれまでの思い出を振り返ってるんだって伝わってきたりする。メインの役どころ以外の演者たちの何気ない所作(振り向いたり、手を差し伸べたり)が全部リズムや視線誘導につながってて気持ち良すぎる。動きの一つ一つに説得力と美しさの強度があるんだよな。

・ジゼルのソロ、『きみの色』のラストで踊られていたパートは本当に息を呑むようで空気が違った。そのなかには『ジゼルのあらすじ』でも経験談として語られていた「片足を上げ下げしながら前進する動き」のことやその後の連続回転がでてきたときはこれだって思った、と同時に場内が拍手で溢れていました。

・1幕にもウィリ(幽霊)の女王ミルタが一瞬だけ登場するんですが、街のひとたちがたくさんいるなかで舞台手前に出てきて2、3の身振りをしたあとにスッと上に浮かぶ瞬間があって「!?」となった。他の街人に気を移していたのでミルタの姿が視界の隅で上に持ち上がったからワイヤーで吊り上げたのかと思ったくらいなんですが、つま先立ちの姿勢だった。この姿勢ってバレエなので他の場面でもよくでてきたんですが、特にこの場面は直前の上半身の動き(あるいは動きのなさ)やウィリの衣装と街の風景のギャップからくるのか、本当に浮かんだように見えたんだよな。

・2幕でウィリたちの踊りのあとにジゼルの霊がミルタに呼び出されるシーン。ジゼルのお墓に近づいてミルタが手を差し伸べるんですが、ここは目を離さずにじっとみていたのに、なにもなかったお墓の上にその瞬間、ジゼルがいたっていう見え方をしたんだよな。いや、舞台袖に近いから全然一瞬ででてこられると思うんですが、その立ち方がぶれなさすぎるからか、袖からでてきた一瞬が認識できなかったのかもしれない。

・これはジゼルの本質と離れた、わたしの好みの話になるんですが、奔放な主人とお堅めの従者っていう組み合わせがかなり好きかもしれない(ここで気付いたの?)。1幕冒頭でアルブレヒト(伯爵)が身分を隠してジゼルに近づこうとする場面を何度もたしなめる従者の姿とかみてるとにこにこしてしまう。それが1幕最後、倒れたジゼルに近づこうとするアルブレヒトをたしなめようと手を伸ばしたあとにそれをやめて自分の腕に目線を落として身をひく場面と、2幕最後にバチルダ(アルブレヒトの婚約者)と共にアルブレヒトの亡骸を見つけて地面に崩れる姿。正直このあたりだけで涙がでてたところある。

やっぱりバレエをみた経験がなさすぎてバレエ自体、演目、舞踏のどこに感動したのかなんもわからないのでもう一回ジゼルみたいなと思います。検索をしたところ2025年は国内のバレエ団も海外からの来日もジゼルを演目にしている回がけっこうありそう。特に7月にはヒューストンバレエもジゼルをやるらしいのでみにきたいな。

ファリン「すごく!!!おもしろかった!!!!」
マルシル「それはよかった……?」
ファリン「主人公役の女の人の声量すごかったね、あの雪はどうやって積もらせてるの?剣を突き刺すシーンって本当に刺してないよね?一瞬で背景や衣装が変わるのはどういう仕組み?」
マルシル(あ コレ 舞台自体を初めてみた感動も大きいな)                 『ダンジョン飯』 入場特典 ブックレット

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