
『GIFT』東京公演をみました。とても良かった……。
『ドライブ・マイ・カー』での共同作業も記憶に新しい音楽家の石橋英子と映画監督の濱口竜介。この二人が再び協働して生まれたのが、この『GIFT』という作品である。元々は石橋が濱口に自身のライブ・パフォーマンス用の映像の制作を依頼したところから始まった企画だったということだが、その制作過程でいわゆる発声映画として完成に至ったのが『悪は存在しない』で、元々の石橋の依頼に沿う形で完成した映像が本作『GIFT』ということになる。本作は前者より尺も短く、また編集も変わっているものの、大まかな物語は両作品に共通しており、本作の場合にはサイレント映画の様式に則って台詞や説明にインタータイトルが使用されている。成立過程の特殊性により、現在最も時代の先端を行く音楽家と映画作家が奇しくも映画の最古の様式であるサイレント映画を共作することになったわけだが、その結果はぜひライブ・パフォーマンスにてご確認いただきたい。第24回東京フィルメックス
演奏後のトークイベントで音楽として聴かれるための映像と語られたように、例えばたまたま先週みたトーキーのはしり頃にあたるドライヤーの『吸血鬼』もセリフはほぼなく劇伴のみだったものをみたことや、あるいは商店街の映画館で以前、『ロイドの要心無用』を活弁士の方とピアノの演奏でみたことと比べて、映画をみたというよりも音楽をもとになにかを体験したという感じがある。それで思い出しのは『聲の形』でした。あれはブルーレイの特典に「inner silence」版が収録されていて、これは台詞や効果音がなく、代わりに誰かの心理状況のような音楽が2時間の上映時間続くものだった。活弁でやることが画面の説明だとするなら、『聲の形』の「inner silence」版でやっていたことは少なくとも画面の説明ではなくて、誰かの内面だった。今回の『GIFT』はそこからさらに離れて、映像と音楽が交わって何か体験をつくっている感じです。
今作では映像に文字で状況を説明する部分があって、これによって物語をある程度まで追うことができる。ただ時系列が前後するような場面が続いたり、セリフに字幕がつく部分とつかない部分があったりする。映像としてうつるものを自分の経験や何かと重ね合わせながら一つずつ解釈していくような時間になるんですが、そのときに流れているのが石橋英子の音楽です。映像に見入ってしまう合間に舞台の姿をみると、映像に合わせながら機器を操作するかたわら横笛を演奏して、また機器を操作して、ということを繰り返されていて、観客席側からはその姿もまた気になってしまうと映像がみれなくてジレンマ!ってなってました。
物語自体は来月から上映される『悪は存在しない』で触れられると思うので今かけることはないんですが、それにしてもいくつかある雪の残る林間を映す場面がすごくきれいだったな。それこそタルコフスキーの『鏡』でみるような静謐さがあった。ただもしかしたらこれはセリフ音声の存在しない今回の『GIFT』だからそう感じたのかもしれない。あとは木々の間を陽が傾いていく中、小屋から煙が流れてきて樹の影を映すシーンもめちゃくちゃよかったです。
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