『フォーチュンクッキー 』をみました。よかった……。アフガニスタンからアメリカにやってきて、フォーチュンクッキーの工場ではたらくドニヤ。クッキーに幸運の短文メッセージを折り込む仕事を終えた夜中、扉の外で煙草を吸う隣人の音に気がついて、外へ出て会話をするシーンから始まります。
映画全体のトーンはドニヤがこの日常から殻を破って踏み出していくのを見守るような暖かいもので、不眠症のカウンセリングに通うことになったドニヤが出会う、どこかピントのズレたような精神科医とのやりとりや、工場主である中国人オーナーとのやりとりはどこかカウリスマキ作品のような味わいがある。オーナーが中国とアフガニスタンは隣人であることを伝える場面には地球儀が登場するんですが、典型的な小道具なのに地球儀がこうやって地球儀として直接使われている場面をすごく久しぶりにみた気がして、かなり良かった。
一方で、ドニヤやその隣人、アフガニスタンからアメリカへ移住したひとたちの暮らしや、抱える自責の意識等がところどころで前面に出てきます。カウンセリングの序盤に「家族は脅されている?」「家族に暴力が振るわれた?」といった質問が始まったとき、正直にいうとわたしは急になんのことかわからなかったんですが、これが母国でタリバン政権の政権再掌握を経た状況のなかでアメリカに協力すること、そして女性がはたらくことを現地社会でどう扱われているかについての話だということがすぐに明らかになってります。
テーマ曲である「Daimond Day」(Vashti Bunyan)が流れる印象的な場面があるんですが、わたしはこの曲を聞いたことがないはずなんですけど登場人物が口ずさむのに合わせてメロディーを取れる気がして、多分どこかで昔聞いたのが頭に残っているんだろうな。この映画に登場する一つ一つの小さな小道具(地球儀や歌のほかに、例えば憎まれアイテムとして出てきた鹿の陶器は、ジェレミー・アレン・ホワイト(ダニエル役)がやさしく撫でる)や設定の取扱いが丁寧で、それが作品全体の重い題材を扱いながらも前向きであるような印象につながっている気がします。

入場時に配られたフォーチュンクッキー①

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