Do It Yourself!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-

 

Do It Yourself!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-9~12話をみる。終盤をまとめてみてしまいました。せるふの頭に描いたツリーハウスが実現する過程、そしてさらにせるふとぷりん二人の思い出が新しいかたちになる場面も含めてすごくよくDIYのアニメだった気がします。このあたりはDIY観にもよると思うんですが……。わたしの思っているDIYはまず「自分のやりたいことをやる」っていうのがあって、その注釈として”自分のコントロールできる範囲で”というものがある感じです。

それで、”自分のコントロールできる範囲で”っていうのが他者を巻き込むこともありだというのがこの作品で、これはDIYを脱資本主義の文脈や日曜大工的なイメージというよりも場の話としてするときに出てくる話だと思うんですけど、やりたいことを一緒に、”Do It Together”みたいな話です。”自分のコントロールできる範囲”がどこまでかっていうとそれはひとそれぞれだけど、そのそれぞれが目指すことを一緒にやることで結果的に場のみんなが”自分のコントロールできる範囲で”「自分のやりたいことをやる」っていう。

今作で言えばDIY部の面々が集まって一緒に作業を進めるなかでせるふが不器用ながら自分で工作をすることにこだわっていること、不器用だけどそれでもツリーハウスのメンバーとして存在意義を見出してもらうために小屋を自作して証明しようとしたことなんかは、せるふの目線で、せるふ個人の能力でコントロールできる範囲を描いていた気がします。せるふの自分でやるという思いはしっかり描きつつ、そのうえでその小屋作りがうまくいかなくてDIY部のみんなと一緒につくるというのも、ツリーハウスの材料がなくなって周囲から調達してくるというのも(先生が回って集めてくるのはわたし的にややぎりぎりな感じはしましたが……)、これはみんな(といえる範囲がせるふやそれぞれにあって、その範囲のなかで)と一緒にやることでせるふ個人のコントロールできる範囲でありながらその能力を超えた一つ上の階層で、みんなそれぞれのやりたいことと一致して達成できた文脈な気がする。

言い回しが微妙なんですが、苦手を補って助け合おうというのとは少しちがって、これはせるふが最後まで不器用なままだったのもそうなんですが、そしてこれはわたしがせるふ目線で見すぎな気もしますが、せるふがやりたいことが不器用なまま、それでいて完全なかたちで達成されるんですよね。それがとても良かったです。何か文章をこねくりまわしてたらねじれた感じになってきた。

急に別の話をしますが、例えば音楽だとこういう企画をして、出演者の宿を提供して、物販で交通費を集めて、食事を提供して……っていうのを、理想のかたちでその企画を実現するためにイベント会社を介さずに個人が構想して、その参加者それぞれがやれる範囲で上記のことをやることでひとつのイベントが成功するみたいな話です。

話をアニメDIYに戻すと、ツリーハウス完成までみんなでやったうえで、その完成後にせるふとぷりんが二人で思い出のベンチの素材を使ってブランコをつくったのもすごく良くて、あのベンチの思い出は二人だけのものだからその二人だけのやりたいこととしてベンチ素材でブランコをつくるんだよな。

あと音楽が良かったです。このアニメは画面が良すぎるのがまずあって、それにお話もよいので普段の視聴であまり印象にのこっていない音楽なんですが、今日はふとしたときに流れるタイミングやその流れる劇伴がすごくハマっていることに今更気づきました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA