『舞踊のコスモロジー』(市川 雅)を読み終わった。バレエと現代舞踊を中心にした舞踊論の本です。先日読んだ『バレエ 形式と象徴』(ゲルハルト・ツァハリアス (著), 渡辺 鴻 (翻訳) )と比べて、より具体的な舞踊作家にも触れていて見取り図が掴みやすい気がする。とはいえ、2冊続けてバレエの振り付けが象徴するものについての本が続いたのにその踊り自体をみていないのでなんとなくふわふわしています。いや、だったら動画を再生しながら読めばいいのでは?というのはごもっともな意見なんですが、何か自学のために動画を見るというのはまだやや抵抗があるというか、配信やvlogとかはぜんぜん好きなのに何かを教示しようとする動画に対する謎の苦手意識があって、ある。それで以前、ジゼルをみたときはその身振り、そしてそれによって描かれるストーリーとかみてウオオとなっていたわけですが、当然にその振り付けをする側からすると一つのステップごとに、あるいはその組み合わせに意味があるというのはみるときにもっと意識してもよいのかもと思った。というか、多分、わたしが昨年からバレエをみていこうと思ってまずはじめたのがジゼル縛りなのもそういった部分の違いを感じられるようにするためであったのかもしれないです。
舞踊は現示的形式といわれ、その性質として文法的法則や表示する対象を持たず、推論不可能な象徴形式とされている。舞踊は意味を持たないのではなく、推論的な意味を持たないといった方が厳密であろう。また、翻訳不可能なものだともいわれる。語と対象を欠いているからである。だが、意味を持たない、翻訳不可能だといっても、象徴形式であることには変わりはないし、矛盾しているわけではない。(中略)外型から見てこの身振りが日常的な動作と区別されるのは分節化(Articulated)されているかどうかであり、分節化は舞踊の不可欠な枠といえる。分節化を字義通りにとれば、フレーズを持っていることであり、それによって舞踊は非日常的空間の出来事になるのである。
ここでさらに舞踊の現示的形式が示す象徴についてわけ入らなくてはならない。……『舞踊のコスモロジー』220頁
コメントを残す