(トーマス・S・マラニー (著), 比護 遥 (翻訳))チャイニーズ・タイプライター 漢字と技術の近代史

「近代」の象徴としてのタイプライターおよび中国語タイプライターの不可能性を軸に、中国語あるいは漢字に対する姿勢、タイプライターの構造、あるいはキー配置、打字の習熟過程、日中関係等々……からその成り立ちを明らかにしていく内容です。

序論のツカミからめちゃくちゃいいんですよね。今回の東京オリンピックにおける入場行進は五十音順で行うとされていますが、2008年の北京オリンピックではどのように行われたのか。このときはアルファベットの代わりに使われた画数及び永字八法による並びの入場行進が行われて各国視聴者の困惑を起こしたこと。あるいは別のやり方としてピンインを使ってアルファベットになぞらえることもできたのに、そうはしなかったその判断の瞬間。これが延々と描かれるアルファベット(あるいはそれを加工した)世界標準のタイプライターと、それに何とか対応すべくやってきた中国語の関係の一つの終着点としてロマンがありすぎるんだよな。

開会式入場は五十音順で 五輪組織委、各国に伝達

めちゃくちゃ面白い本なのであらすじを追っていくようなことは避けるんですが、それとは別に個人的に頭に浮かべながら読んでいた、一時期よくやっていたタイプウェル(タイピング練習ソフト)の話を少しだけ残しておきたいです。いやソフトと書きましたが今はブラウザ版でした。

 

このソフトで測った記録を集計、掲載していたGangasというサイトがあって少しの間だけですがここを中心にタイピング練習者の交流の傍に居たことがあります(この場合の交流の傍はネットで一定期間ブログ記事やツイッターを一方的に読んでいるということを主に指しています、人見知りなので……)。

 

先の本に記載されていた中国語タイプライター黎明期の話を読む中で、このタイピングをやっていた時期の標準運指か我流運指か、ローマ字かカナか、あるい別の配列か、キーボードの種類から起動中の視線移動、入力速度のコントロール、練習方法みたいなことを追いかけていた記憶がオーバーラップしてきます。ずっと日本語入力のタイプウェル(英単語もありますが)をやっていて、ふと海外のTyperacerをやったときに全く歯が立たなかったことを思い出しました。いや、普段から(大体の人は)同じQWERTYキーボードで打っているわけだからこのハード面の条件は同じで、そしてこの同じ条件という状態に至るまでの過程が大げさに言ってみればチャイニーズタイプライターの歴史なんだよな。

2021年7月8日

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