新世紀を迎えた2001年。長江・三峡ダム建設のため、百万を超える人々が移住を余儀なくされた2006年。目覚ましい経済発展を遂げた2022年……。チャオは大同(ダートン)を出て戻らぬ恋人ビンを探して奉節(フォンジエ)を訪ね、ビンは仕事を求めてマカオに隣接する経済特区・珠海(チューハイ)を訪れる。時は流れ、ふたりはまた大同へ――。恋人たちの関係と比例するように、街は変化していく。21世紀を22年かけて旅するチャオはどこにたどり着くのか――。公式サイト
新世紀を迎える場面から始まる第1章、舞台は炭鉱の街である大同です。当時の映像と新たに撮影された映像が混在しながら中国北部の姿が描かれる。本作を通じて様々な音楽がずっと流れているんですが、この00年代の映像の一部にすごく聴き覚えのある曲があって、エンドロールで確認したら「杀死那个石家庄人」(万能青年旅店)だった。何年か前に少しネットで話題になって来日もしていた気がするけどさすがにゼロ年代の曲ではなくないか……?と思って検索したところ、やっぱり2010年のリリースでした。映画上映後に行われた映画研究家 聞豪さんのトークイベントでも触れられたところによると、他の曲も映像の時代とはずいぶんずらして置かれているらしくて、映像としては3章が時系列に沿って進む中で、音楽によって時間混乱的な、リニアな流れではない動きを描いている、ような話があった。
第1章、第2章ともに監督の過去作品で舞台になったこともあり、そのときの映像も本作で使われているそうです。コロナ禍のなかでそういった映像記録の編集が進んだということだった。第3章はまさにそのコロナ禍にある大同が舞台です。そして映画の終わり、2人が対面したあと別れる瞬間がかなり良くて、おもむろに羽織っていたフリースを裏返して着て、夜の街を無言でランニングするかなり大きな集団に溶け込んでいく場面があるんですが、あの部分が中国の文化というか、あのコロナ禍のときの風潮としてどういう意味があるのかわからなかったところがある。ただ主人公の一人が地域に根ざした生活をしているというだけなのか、夜中に無言でランニングをする集団っていうのは当時なにか政治批判みたいな意味合いもあったのか、一瞬混乱するんですが、いずれにせよちょっとだけ開放感があるんだよな。
ちなみに来日の際には観客で合唱が起こったらしいです。全然いい曲なんだけど、そうなんだ……(合唱アンチアカウント)。
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