(古井由吉)眉雨

『眉雨』を少しだけ読んだ。表題作は先日の自選集以来に改めて読んでも全然頭に入ってこないね……。それでも収録されているいくつかの他の短編(「斧の子」「叫女」)を読みすすめてるといずれも精神の不調と世界とのバランスの話が続いていて、そのうえでこの巻の冒頭に置かれた「眉雨」をみると少しだけわかるところがある、気がする。わたしが好きな短編「夜はいま」にも近い雰囲気なんですが、この『眉雨』の翌年にでたのが『夜はいま』なのでそうなんだろうな。

 

(2024.10.13)

『眉雨』の単行本を読み始めた。一度文庫で読んでいるしいくつかの作品は短編集にも収録されているので表題の「眉雨」を読むのは4回目くらいだと思う。そして今回こそ飲み込めるように気合を入れています。

 何事か、陰惨なことが為されつつある。人を震わすことが起こりつつある。
あるいは、すでに為された、すでに起った。
過去が未来へ押し出そうとする。そして何事もない、何事のあった覚えもない。ただ現在が逼迫する。
逆もあるだろう。現在をいやが上にも逼迫させることによって、過去を招き寄せる。なかった過去まで寄せて、濃い覚えに煮つめる。そして未来へ繋げる。未来を繋ぐ。一寸先も知れぬ未来を、過去の熟知に融合させようとする。吉にしても凶にしても、覚えがなくてはならない。熟知の熱狂が未来をつつみこむまで、太鼓を打ちつづけさせる。雨の降り出したのは、もうすぐ手前の兆しだ。『眉雨』15頁

冒頭から雨の降り出しそうな空を執拗に描写したあと、時間の繋がりもわからない女たちのやりとりが挟まれてから、お腹を壊した男がホテルのトイレに入って壁のタイルを眺めたところからさらに別の空間の描写へ。それがただ雨音だけで接続されている場面です(場面?)。そんなことあるんだ。地の文には現在形が多く用いられていて、その繰り返しのなかで時間が動いているのを感じる、気がする。

2021年10月18日

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