冒頭、まだ本題に入る前の話題としてアン・ドゥオール(脚を外側へ開くこと)の話題が出てきます。
アン・ドゥオールは、まず実際上の必要から生まれたものであるが、また解剖学的な意味をもっている。A・J・ワガーノヴァを引用してみよう。「これ(アン・ドゥオール)ができなければ、脚は(左右・前後・上下とも)わずかしかうごかすことができません。(略)しかし脚をアン・ドゥオールにすると、大腿骨頸がひっこんで、関節窩のふちが大腿骨頸とあいます。こうして脚は九〇度まで、いや、一三五度まであがるようになります。このアン・ドゥオールで、脚は、グラン・ロン・ド・ジャンプ(脚の大回転)のときに鈍角円錐をかくことができるまで、行動半径をひろげるようになります。」『バレエ 形式と象徴』40~41頁
本筋である象徴に関する話題ではなく、その導入にあたる具体的な技術についての部分なんですが、わたしがここをみてウオッとなったのはこの日記に書いたか覚えがないんですけど、昨年末から毎晩ストレッチをしていてそのゴールをどこに持っていくのか迷ったときに、仮にI字バランスとしたことがあったんですよね。身体はぜんぜん堅いので何年かかるやら……という感じではあって、今はchatGPTに聞きながら柔軟をしている感じなんですが、先の文章の中でアン・ドゥオールをできれば脚が上がるとあって、そんな練習してないが………!?となった。
慌ててchatGPTくんに聞いたら「I字バランスをするのに「完全なアン・ドゥオール(en dehors)」は必須ではありません。しかし、アン・ドゥオールの意識や要素があると、より美しく安定したI字バランスができるようになります。アン・ドゥオールを使わなくても十分高く上げられる人も多いです。柔軟性と体幹の強さがあれば実現は可能です。」とのことだった。なるほどね。勉強になります。信じるぜ。
(令和7年5月24日追記)
このアティテュードとアラベスクは、ラーバンのいう《創造》と《伝播》に対応するだろう。アティチュードはバロック精神を表現し、アラベスクはロマンティック精神を代表するのである。(とくに『ジゼル』にこのアティチュードが一つもないということは、注意する必要がある)。『バレエ 象徴と形式』131頁
『ジゼル』、わたしが昨年バレエをみるきっかけになった作品だ!って思いながら目にとめた部分なんですが、”アティチュードが一つもない”について、そんなことあるの……?とはなった。振付の中にあったとしても、それが強調されることがない、くらいのニュアンスなんでしょうか。謎です。次に7月にみにいく予定があるので確認したいです。
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