(諏訪 哲史)アサッテの人

『アサッテの人』(諏訪 哲史)を読み終わりました。来月みにいく予定の演劇の原作である『りすん』を読む前に、対になるという前作として先に読んだのが本作です。おもしろかった。

吃音(きつおん)による疎外感から凡庸な言葉への嫌悪をつのらせ、孤独な風狂の末に行方をくらました若き叔父。彼にとって真に生きるとは「アサッテ」を生きることだった。世の通念から身をかわし続けた叔父の「哲学的奇行」の謎を解き明かすため、「私」は小説の筆を執るが……。『アサッテの人』裏表紙

妻を亡くした数年後に疾走をした叔父に関する小説『アサッテの人』を、生前妻から聞き取ったエピソードや、叔父の日記を基に再構成することで小説作品とする小説です。叔父が失踪に至るまでの分析的な内容が全体を占めるわけですが、書き手である作者は叔父ではない以上、叔父自身の書いた日記における叔父自身の作為、(作品内)書き手の作為、(本作)作者の作為が入れ子構造になっている。

”繰り返しの日常の凡庸さを逆に強く意識することでそこから逸脱する瞬間を得ようとする取り組み及びその日記”を読み、その影響(定式化への嫌悪)を受けつつそこから小説を書いていくことの困難さについて(それがひいては創作になるわけですが)はあとがきでも触れられています。

2025年6月2日

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