『アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家』をみた。良かった……。邦題とポスターと予告編がぜんぶイマイチで、なのに本編がめちゃくちゃ噛み合ってしまったの謎すぎる。
アンゼルム・キーファーといえば当地の美術館の、その常設展の入口に『シベリアの王女』が鎮座していることでおなじみです。このデカい、灰と鉛の混じった展示物を何度もみている状態で映画をみた。美術館にある1枚の絵画さえ迫力があるのに、同様のサイズのその1枚1枚が小さくみえるくらい圧倒的に巨大な空間があり、そこに大量の作品がならんでいる様子と、その倉庫のような場所を自転車で走り抜けるアンゼルム・キーファーの様子から映画が始まる。
そのまま最後まで、巨大な空間のアトリエにある巨大な作品と、デカい樹をはじめとする自然の様子と、過去のアンゼルム・キーファーの映像と、アンゼルム・キーファーの息子が演じる青年期の再現映像と、ヴィム・ヴェンダース監督の甥孫が演じる幼年期の再現映像とが重なり合いながらスクリーンに流れていきます。1つ目の作品群だけでパワーが有るのに全部乗せだからめちゃくちゃなんだよな。
何かこの映像のゆらめきおかしいな、古い映像なのかなって思ったら、アトリエの巨大空間の壁面に投影された映像だったり、本人が綱渡りをする映像が合成された場面があったりします。
アンゼルム・キーファーの作品及びそのアトリエ空間の規模の現実感のなさに対してこの再現映像や謎合成が逆に人の生々しさというか、現実感に揺れ戻されるような変な感じがある。前者だけだったらヨハン・ヨハンソンの『最後にして最初に人類』の映像と同種の世界観なんだよな。何か楽しい映像をみたという感じがする。よかったです。
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