最後に「祇園精舎の鐘の声」をそれぞれが唱えるところ、びわの目線、びわの語りを取り入れた作品の最後の最後で個々の人物に返すかたちにしたのすごく好きです。『この物語はこれからもびわが語ることでこ生きつづけるもの』という描き方なら最後にびわが語ってる様子でも良かったんですが、そこをそれぞれの人物にさせているんですよね。びわを登場させることの意味とは別のところで、最後そうやって描くのはすごく誠実というか気配りと言うか、良いなとなりました。視聴者も全員みながら頭の中で唱えてたでしょ、「祇園精舎の鐘の声・・・」って。
古典を映像化するにあたって、これは古典に全然触れていなければ日本史もやってないわたしの思いだけですが、古典の文章を読むときに感じるあの読み取れなさというか、描写の感性が違うからかどうもすんなり飲み込めないところというか、もちろん単語・文法から現代語訳を叩き込めば意味はわかるけど、それでも文字を追うとつまりなんなんだ……?みたいな部分があると思うんですが、それの映像化っていうのを当たり前だけどそこにでてくる人たちの目線で描くっていうのをアクロバティックにびわを出すことで成してるんですが、最後だけはそこに寄り切らない終わり方が好きなんだよな。何を言っているかわからなくなってきたけど日記だから良いか……。
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