タルコフスキーの『惑星ソラリス』をみました。本当に情けない話ですが、冒頭、首都高のあの長々と映像が流れるシーンで意識がなくなり、気づけばもう惑星ソラリスにある宇宙ステーションにいた。そういうこともある。
理性のある”海”を観測するために設置された宇宙ステーションにやってくるとそこはすでに荒廃しており、ふるまいのおかしくなった科学者2名、自殺者1名、そしていないはずの謎の女児やおじさん、さらに死んだはずの妻が現れて主人公の過去と交差する。”海”の生み出した実体のある幻と宇宙ステーションで過ごす葛藤が描かれています。
1972年当時について『タルコフスキー日記―殉教録』を開くと、中央委員会文化部、文科相、映画委員会、総管理局等から寄せられたコメントやクレームをまとめた33個のメモが載っていた。そこにはいくつか”(!?)”が付されていて、でもそのいくつかは(まあこれはそうだよな……)という気持ちにもなる内容で良かった。
もう本当に死にそうだ!
これは一種の挑発である……それにしても連中はいったいなにを望んでいるのだろう。わたしが修正を拒否することか。
でも、なんのために?
それとも私がすべての批判を受け入れることか。そんなことがありえないことは、よく承知しているではないか!
さっぱりわからない……。この修正リストを私に渡したのは何を言いたいためか、もっと正確に言えば、いったい何をもくろんでいるのか、まるで理解できない。
そんな修正など出来ない。映画が台無しになる。
修正しない場合はどうなるのか。
こうしたことはすべて挑発行為のような気がするが、しかし、その挑発にどんな意味があるのか理解できない。
もともと変えるつもりだったところと映画の構成を壊さないものしか、修正しないこととした。
それで不満なら、仕方ない。 『タルコフスキー日記―殉教録』 104~106頁
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